いい仕舞い

四万十には「いい仕舞い」という言葉があります。その日まで食事ができて、痛くなくて、みんなと話しが出来て、なじみの人の中で最期を迎えられる、これを「いい仕舞い」といいます。死は悲しい現実です。しかし「いい仕舞い」という言葉の中には、死は悲しみだけでなく旅立った人やそれを支えた人々の苦労をねぎらい感謝をする、という想いがあります。

 

大野内科と小笠原望さん

様々な世代の患者さんに、地域のかかりつけ診療所として親しまれる大野内科。毎朝早くから沢山の患者さんが訪れます。小笠原さんは、青森の弘前大学医学部を卒業後、香川県高松市での病院勤務などを経て、妻の実家である大野内科に赴任します。診療所を引き継ぎいだのは2000年のこと。以来、1日の大半を診療所での診察に費やし、水曜日と土曜日には患者さんの元を往診する訪問医療に力を傾けています。

 


訪問医療を待つ患者さん

訪問を待つ患者さんやその家族にはそれぞれの事情、思い、希望があります。20年来在宅で療養を続ける患者さん、深刻な病状があり最期を自宅で迎えたいと希望する患者さん、施設に入所しながら療養を続ける患者さん。患者さんの容体に合わせた訪問予定を組み、定期的に診察へ向かいます。時には朝早くに、時には夜中に携帯電話が鳴り軽自動車で駆けつけることもしばしば。小笠原さんは患者さんや家族の希望に寄り添い、四万十川流域を駆け回ります。

 

川が育む“いのち”

四万十川は四万十市(旧中村市)の中央を北から南へ流れ、やがて太平洋に注ぎます。川の中では、無数のいのちが育まれ、そしていのちを終えていきます。春には桜や菜の花が、夏には蛍が、冬には鮎が、それぞれのいのちを輝かせやがて次の世代へとつないでいきます。動物や植物は川と共に生き、人々も川に寄り添い生きています。大野内科には沢山のお年寄りが訪れます。お年寄りほど「1日に1回は川を見ないと気が済まない」といいます。時に濁流を伴って荒れる川は、流域に被害をもたらすと同時に恩恵をもたらし“いのち”を育んでいるのです。

 


受け継がれていく思い

小笠原さんは他地域での講演活動や研修会に積極的に参加します。若い看護師に向けた研修会では医療者としての経験を、年配の方に向けた講演活動ではいのちにより沿い積み重ねてきた経験を話します。小笠原さんは語ります。「『生まれたら死ぬ、単純なことながら』っていうのは、僕の川柳ですけれども、四万十では、人の命も自然の中のもの。自然の中の命は生まれたら死ぬ。その死に方をどうやって覚悟をしていくか」。診療所には新しい先生を迎え、患者さんのお宅や介護施設にも同行させます。小笠原さんの思いもまた次の世代へと受け継がれていくのです。

 

ひとのいのちも自然のなかのもの

徐々に弱っていく患者さん。傍らには家族が寄り添います。今朝まであった呼吸は途切れ途切れになり、やがてなくなります。ひとつの生命の終焉です。しかし「いのち」は見守る家族に受け継がれその中で生き続けるのです。小笠原さんは、悠々と蛇行を繰り返しやがて海へと注ぐ四万十の流れに重ねて語ります。「そんなに嘆かなくてもいい、急がなくてもいい、一日は終わり、そして始まるのだから」と。